元気が湧くシンフォニー
幸せな人生を得るには 春川ひろし:著
シンフォニー目次 |
はじめに |
序章 |
第一章 |
素敵な仲間 |
第二章 |
第三章 |
第四章 |
おわりに |
第二章
幸せな人は
『地位 権力 金』
地位 権力 金
世の中に実に多い「私は全てが絶対正しいとは言わないがそんなに大きな間違いはしていないよ」と自己中心の身勝手な自己判断で自惚れの塊の、一人前の人になる努力を疎かにしているお子チャマレベルの人達は、必ず時と共に心の侘びしい哀れでさもしい溝に深く落ち込んで行きます。
そしてその人達はどう云う訳かその人達の心の中に無意識(⇒気付かない)の内に他人から相手にされなくなってしまう(⇒無視される)と言った妄想や恐怖感が芽生え、地位権力やお金には異常に執着心が強くなり、異常に固執する心の狭いせこい人になります。
若い時には、お金が全てでは無いよ等と偉そうにほざいていた人も皆、揃って惨めな銭、銭、銭、の立派な拝金社会の立役者となり、生涯銭で悩み銭で苦しむ哀れな人生を過ごすのです。
この様な人達は相手に尽くそうと思い何かを実行した所で予想もしない苦情や文句になったりと言った結果になる事が屡起こる人になります。
これは日頃、常に何一つ正しく無い相手無視の甘ったれ考えに終始している故に派生した、お粗末人間の為せる業(⇒結果)で有り、決して文句等を言える代物ではありませんが、こうなるとお子チャマの皆さんは、鬼の首を取った如く一生懸命相手の非難誹謗に夢中になりますが、これではお話になりません。
だからお子チャマと言われてしまうのです
『乳幼児以下』
人間と言う字は、人+間の二つの漢字で組み合わさり成り立っています。
つまり、人は決して一人では無く、人と人の間に存在し、共存して始めて人間なのですよっ、と言う事をしっかりと表しています。
そうなりますと、自己中心をし続け他人無視をしているお子チャマは人では無い、という事になりますね、確かに乳幼児の段階では相手の事等一切無視して、自己中心を徹底させていても周りの人々は結構皆可愛い可愛い、と言って相手をして繰れますが、成人した大人が相手無視の半人前では始末に悪く、時とともに必ず間違い無く誰からも相手にされなくなってしまうのです。
このレベルでは正に、乳幼児以下です
全ての女性は皆同じ
『スペインの諺』
地図の読めない女
世界で共通する素晴らしい諺の一つに人の話を聞かない男、地図の読めない女と言うのが有ります。
スペインの素晴らしい諺の一つに【全ての女性は全て同じだ、自分だけは人と違っている、と頑なに思い込み、決して、それを変えようとはしないっ】と言うのが有りますが、正に言い得て妙です。
自然界の全ての生き物の種族保存と生命維持の為の原則は、雄と雌、植物では雄花と雌花、人には女性と男性、と言う様に必ず対となる個体が有ります一般的な学説では、人類の起源は数十万年前のアフリカの人類の母からと言われ、種族の絶滅危機を防ぐ為には、一匹、一頭、一種、一羽、一人、と言った単体や個体では完成品にせず不完全な未完成状態とし、その個体同士が対になり切磋琢磨する事によって、種族保存が確実に出来ると言う大原則がしっかりと貫かれています。
もう一つの大原則は、全ての生き物はそれぞれが決して同じ物は存在しない、必ずどこかが異なる、と言うのが有り如何にして異なる物同士が切磋琢磨して行くかが使命となり日々前進後退を繰り返し、進歩改革をし今日に至っているのですが、どういう訳か古今東西、全ての女性は皆この夫々が異なり、決して同じ物は存在しないと言う一点だけに奇妙に強い拘りを持ち常に「私は人とは異なる」と極めて了見の狭い思い込みだけで自我意識を強烈に発揮し、頑なにそこに拘り続けます。
全ての子供はこの奇妙で可笑しな物の考えを強く持つ女性(⇒母親)から強烈な刷り込みが為されてしまい皆、自我意識の強い子(⇒我儘な子)になりますが一人前の人になるには、いちはやく、乳離れ親離れをしてこの壁を必ず乗り越えなければならないのです。
進化論
チャールス・ダーウィン 1809 - 1882
出典:ウィキペディア
『変化』
19世紀のイギリスの偉大な生物学者のチャールス・ダーウィン Charles R·Darwin(1809-1882)の進化論
最も強い者が生き残るのでは無く、 最も賢い者が生き延びるのでも無いっ!
唯一、生き残れるのは変化出来る者だけで有る。
進歩無きは後退 ⇒変化無きは死
マンモス狩りのお話
マンモス
『昔々のお話』
その昔男は一家の糧を得る為に家を出て大きな獲物となるマンモス狩りに出かけるのが大きな使命の一つ。
一方、女性の方は夫が狩りに出ている間の留守番や、家や畑や子供達を外敵からしっかりと守り、水汲みや畑仕事炊事洗濯や家事全般、子育て等々を行う使命がありました。
男は日頃からマンモスと言うどでかい獲物をしとめる為に、あ~でも無い、こ~でも無いと綿密な画策をし、落とし穴の場所やサイズ、追い込む手順等々の攻略方法や戦法等に一生懸命知恵を絞り、槍等の武器の手入れ等も入念に行います。
獲物のマンモスの居る場所迄はかなり遠く険しい山を越え、大河を渡りその時の季節や気候等も十分把握し、例え何日掛かろうともいかなる困難が立ちはだかろうとも全てを乗り切り辿り着き、確実に獲物を仕留めるのです。
更に収穫物を少しでも多く持ち帰るには気候条件や地図地形、危険回避の手段、効率良い運搬方法やルート等々、あらゆる知識が必然的に頭に入るので、地図や方向性等は結構明るくなります。
これが地図が苦手な女との、大きな違いとなります。
『か弱き大スター』
マンモスを追い込み高い崖から一気に突き落としたり、大きな落し穴に仕留めたり、あらゆる手立てや作戦が必要となり、とても一人では出来ないので、そこにはチームワークが必要となり当然、多くのルールや役割分担が為されます。
無論、力が有り統率力の有る者が選ばれてリーダーとなり、当然そのリーダーはご褒美として、分け前を多く得られますので皆リーダーを目指しますが、全てがなれる訳では無く、下っ端役もかなり出て来ます。
ここに登場する☆大スター☆は、
その下っ端役の中のか細いお一人
『男は語りべ』
ご本人は、極めて運動音痴のひ弱な体型の臆病者で、マンモス狩りの話を聞いただけでも恐れおののき、身体の震えが止まらずと言ったチームのお荷物的存在で、いつも仲間の最後尾をポッツラポッツラ歩いて行く始末でした。
猟場で本物のマンモスを見た途端に口から泡を吹き出し、その場から逃げ出す事ばかり考えていたらリーダーの命令で、後方に廻り大きな石を投げようと近付いて行ったら、振り向いたマンモスの鼻息一発でぶっ飛ばされ気絶してしまうと言うお粗末で、仲間からは完全に村八分的存在の厄介者で有ったとしても、我が家に戻りその場を見ていないカーちゃんや子供達の前では男の性むき出しの自己評価自己美化に徹し、さも自分がその場を取り仕切った如く「実は、あの時、俺が気を失った振りをしたのは・・・」と英雄気取りに徹し、嘘とホラを吹きまくります。
確かに命を曝す
マンモス狩りの現場にいたのだから、
これは有りかも
『甘えん坊』
ここに、女性には少々理解しにくい男性心理がしっかりと見られます。
恐怖におののき、狩りの最中に命の危険にも遭遇し、マンモスを仕留め疲れ切って帰って来た心の歪み等をどこかで発散し、癒さなければならないと言う哀れな男性が必然的に求めてしまうのは野暮な男仲間なんかでは無い、ともかくホラ話や自分の自慢話を優しく聞いて繰れそうな女性が必要となって来るのです。
《 何しろ命懸けだったのですから》
その場を見ていない女性には理解し難いのですが、この様に男性は常に甘えと癒しを多く求めたがる傾向が有り、甘ったれ願望の強いDNAがきっちりと組み込まれているのです。
数十万年前からの人類の歴史上組み込まれてしまったDNAを、僅か数千年で、そう簡単に変える事は出来ません。
『人の話を聞かない男』
人の話を聞かない男
真夏の酷暑続く炎天下だろうが真冬の大雪降り積もる極寒の地であろうが、自分の為にも、家族の為にも必ずこの巨大な獲物を仕留めなければならないと言う大きな使命を背負っている男は常にその任務遂行を成し遂げなければなりません。
遠征中の食事の手配や、睡眠の確保、健康管理、密林の中での野宿や、突然真夜中に恐ろしい野獣に遭遇し仲間が命を落とした、と言った武勇伝の類は事欠かないし、隣の村には別嬪お姉ちゃんがわんさかいるっ、と言った楽しみ等も結構有ります。
そんなこんなで家に戻り一息入れようと思っている時に留守中淋しかったカーちゃんの留守番時の苦労話や、息子が御近所様とどうしたこうしたと言った話なんぞには全く興味が無く、ましてや他人様からの温かく有り難い御忠告なんぞを聞く耳なんかは一切無く無視、まるで聞こうともしません。
頭の中は己が神様、仏様になりきっているので、只々ご本人は俺様がどんなに凄いかと言ったホラと自慢話がしたくてウズウズと言った状態。⇒これが人の話を聞かない男の所以。
一般的に「女ったらしっ、とか女の腐った様な」等と揶揄され、蔑まされる男性に、この誇大妄想傾向やホラ吹き、そして自慢家が多いのは皆このDNAがしっかりと働いているからなのです。
そこに物腰柔らかく一見優しく口数が少なく、適当に話をこれ又一見、聴いて呉れると男が勝手に錯覚してしまう女性が現れたりしますと、哀れな男性は直ぐに惚れこんでしまう様に出来ているのです。
飛んで灯(火)に入る夏の虫、
それ故巷の飲み屋さんは無数に存在します
これも男性に仕組まれた
立派なDNAの一つなのです
『無視される男』
女性の方は、男の世界とは多少異なる、炊事洗濯から始まり、畑の手入れ(⇒買い物)、子育て等々の家事全般始め、比較的行動範囲が限られた空間の中での活動が主となり、男性が心に抱いている野暮な戯言の「次は俺は絶対、あのどでかいオスをやっつけるんだっ、」とか「この新しい槍を使って」等々の、男のロマンとか野望なんて言う類の、武勇伝やホラばかりの自慢話なんかには全く興味は無くそんな事はどうでも良いのです。
女性にとって最も大事な関心事は、そんなアホで間抜けな絵空事よりも、目先の現実的出来事の方の「お肉を確実に持って、無事に帰って来て呉れさえすればそれでいいのよっ、大きいのとか小さいのとか、何だかんだと、この人何バカ言ってるのかしら」となります。
それでもアホな男性の方は少しでも「俺がどんなに凄いかを知って貰いたい」と言った甘ったれ願望を常に持っていますので「一つ、頼みが有るんだけど、俺の弁当と着替えをあの山の麓迄届けて貰えないだろうか?」と最愛のカーちゃんに懇願した所で、男の願望や要望等には全く興味が無いばかりか、地図や地のりには全く自信が無いので、どうする事も出来ずで結果は、「無理、無理、無理っ」となります。
これが⇒地図の読めない女の所以
女性にとって最大の興味は確かな獲物が確実に手に入るかどうかで、究極的には♡銭銭銭♡と、そして種族保存の為に欠かす事が出来ない♡セックス♡の二つです。
「確かに味は良いかも知れないけど、こんな少しでは、子供達に充分食べさせられないのよ」と堂々と不満をあらわにし、「私には貴方の武勇伝やロマンチックな話や自慢話等はどうでもいいのっ」と言う事になります。
女性にとって大切な物は目の前の現実と直面している【大事な大事な】♡♡銭銭銭♡♡とセックスが全て、と言う実に素晴らしいDNAがしっかりと組み込まれているのです。
仕方ないよねっ、
いつの時代も生きて行く為にはね
DNAの違い
『男は辛いよっ』
DNA二重らせん構造
出典:ウィキペディア
歴史上、男性はマンモス狩りでも、農作業でも戦争でも、会社務めでも、常に家の外に出る機会が多く比較的広い行動範囲を広く持つ宿命を背負って居りその反動から癒しとか憩いの場とかに強い反応が働く傾向が有るのに対し、女性は常に目先の現実対応対処に目が向きその行きつく所は♡♡♡銭銭銭となります。
【正に男は辛いよ】です。
先程登場のスペインの諺の全ての女性は同じだ、自分は人とは違うと頑なに決めつけている、と言うのは男目線で女性の自己中心で近視眼的視野に徹する感覚を捉える人物の代名詞として女性を比喩して捉えています。
この様に男と女には根本的に全く異なるDNAで有る事がここからも良く分かります。
だからと言ってどちらが良いとか、どちらが優れているとか、正しいとか得か損かと言う様な、ちっぽけな問題では無く、人は生きて行くにはこの極めて異なるDNAを持つ者同士がお互いに協力し助け合って一人前の人になると言う事を理解する必要が有るのです。
然し乍ら目先の出来事のみに終始し、他人の考えには一切振り向こうとしない、お子ちゃまは必ず「いいんだよっ、俺が(私が)いいと、思っているんだから、」と言い、一人前の人になる努力をせず自己中心、自己美化、自己判断に凝り固まり、ご当人だけの身勝手な決め付けで、自分は「一人前の人」だと身勝手に思い込んでいますが「一人前の人」になるには、並大抵の努力無しではそこに辿り着くのは不可能だと言った代物なのですが、日々コツコツと己を変えて行く努力には全く興味無いお子ちゃまは、時と共に、膨大な不満要素(⇒ストレス)が体内に溜まり、見事に醜い容姿に進化して行きます。
それでも尚、低次元のどうでも良い話題に終始し、常に自己評価、自己美化に専念し「俺に(私に)限って、間違いは絶対にないっ」と、立派に豪語しているのです。
『視野の違い』
この様なお子チャマは自分が感じた味覚、視覚、聴覚、嗅覚等々は、他人も皆自分と同じで有ると身勝手に決めつけ、物事全てで大きな間違いをしでかしています。
男性と女性の脳の機能は決して同じでは有りません。
男性と女性或いは大人と子供の感覚は人夫々全く異なります。
男性が感じている色と女性が感じる色彩感覚は全く違う事をご存知でしょうか?
アメリカのある民間会社で少々変わった男女の脳の機能の違いのデータ分析調査をし、【嘘をつく上手さ】【お喋りを必要とする要求度合】と言う二つのテーマを取り上げて行なった所、驚いた事に、その結果の数値に同じ物は一つも無くどちらも、何と各々が30倍以上異なると言う驚きの数値結果が出たそうです。
確かに一般的な話として、精密器具等を扱う工場等での製品検査部門では圧倒的に女性の感性が優っていて、積極的に女性を登用していると言う話等を良く耳にします。
【嘘をつく上手さ】の実験では女性の方は、男性の嘘の殆どを見抜いてしまうのに対し、男性は女性の嘘の殆どが見抜けなかったと言う結果になったそうです。
【お喋りを必要とする要求度合】では、男性の方は刑務所の孤独な独房の様なお喋り無しの条件下でも結構対応出来る能力が有るのに対し、女性の方はお喋り無しの状態が長時間続くと途端にストレスの数値が増し酷くなると命の危険にも至ると言う様な結果が出たそうです。
然し、だからと言ってどちらが良い悪い、凄い凄く無い、とか優れているとか劣っていると言ったお話では無く、全ての人や男女の感覚機能には大きな違いが有り同じでは無いと言う事で、全ての物には必ず「一長一短」が有って成り立っていると言う事を教えて呉れているのです。
仮に、夫々の感覚機能を比較してどちらが◯◯倍も優れていたとか劣っていたとしてもそれ自体はさして大きな意味は無く、大切な事は人は仮に少しでも劣っている所がありそれを変える必要があると認識したら、真摯に受け止め変える努力に取り組む、常に変化対応が必要で有ると言う事をこのデータは教えて呉れているのです。
『モナ・リザ』
レオナルド・ダ・ビンチ
モナ・リザ
出典:ウィキペディア
パリのルーブル美術館で名画「モナ・リザ」を見た全ての人の感動感激、称賛等は夫々異なるのが当然で決して同じ物はありません。
仮に貴方と一緒にその場に居合わせたとしても、お互いはお互いの見方になるのは当然で可笑しな事では有りません。
その時の体調や気分等によって物事は如何様にも変化しますその人の立つ位置が数Cm変わっても、その結果は大きく変わってしまう事も有ります。
それ故或る人には「心休まる美しい画」と映り、別の人には「何かとっても不可解で◯◯だ」等と言われる事も有りますが、それは有って当然なのですが常に自分は正しいと決めつけている自己中心のお子チャマはこれ一つも全く理解出来ないのです。
『どっちが可笑しい』
モナ・リザを見て「◯◯だと抜かすあいつは可笑しいよね」等と常に己の主義主張が正しいと思い込み、賛同者を得る事に専念しているお子チャマの皆さん、果たしてどっちが可笑しいのでしょうか?
皆さんの周りに楽しい食事の際等に、目立ちたがり屋でその場の空気を読まずしゃしゃり出て「これは◯◯すると◯◯だよ」等と慇懃無礼なお節介行動のみに徹して「私は(俺は)結構、人に気配りをする優しい人だ」等と自分勝手に決め付けをしている始末に悪い哀れなお方はいませんか?
このレベルのお方の明日は、確実に恐ろしい認知症や痴呆症を始めとする沢山の厄介な病や、事故や災難が喜んでその人にお付き合いしにやって来る様になるのです。
『おらが町』
おらが町
世界中のどの町に行っても、そこに住む人の意見がバラバラでは、何をするにも都合が悪いので、その町独特の風習や異なった文化を一つでも多く取り入れ常に多くの人を纏める工夫や仕掛けが随所に施されている物の考え方が柱になっています。
これにより仲間意識や親近感が高まるのです。
どこにでも有る、お寺や神社、教会、図書館等々も、人は出来る限り多くの人々が納得しやすい方法を模索し、それはパリの【ルーブル美術館】の様な存在となりそれは世界中至る所に存在します。
誰もが同じ場所、同じ位置で、同じ様な体感が出来るようになれば、この世に同じ考えを持ち合わせる人は百%とは言わない迄も、かなり纏められるのは間違い無く確かな事で、それが【おらが町】となり、そこに住む人々の大きなパワーになります。
人は一人よりも多くの人の方が当然大きな力となるのでその為の工夫、努力はあらゆる所で見られます。
この様なパワーで最大級の物は、何と言っても誰もが納得する【♡銭♡】で、その銭儲け銭集めの手段に登場するのが、人の心に巣食うエイズや癌よりも遥かに恐ろしい心の病の【宗教】です。
全ての宗教は心の病で有り魔物でも有ります。(?)
【宗教】は、必ず戦争を引き起こす事は歴史がはっきりと証明しています。
戦争は生存競争をする生き物(⇒人間)の性で有り、生きて行く為に戦は必要不可欠とも言えます。
古今東西、この戦争の無い平和な時代にはそれは【プロ・スポーツ】と言う姿に身を変え、私達の身近に存在します。(??)
大変申し訳ございません、お話がややこしい所なのでちょっと整理しますと、人が生きて行くには必ず【♡銭♡】が必要で、その銭を効率良く掻き集める手段に英知を持って考え出されたのが【宗教】で、その宗教から派生する諍事等のツケが必ず戦争を引き起こし、その戦争が無い平和な時代にはそれは人々が歓喜して大好きな「戦」を銭儲けのネタとする【プロ・スポーツ】に置き換え、私達の身近な所に存在しているのです。
繰り返しますが、宗教やプロ・スポーツ自体は皆絶対的、必要不可欠な実に素晴らしい物なのですが、心無い人によりとんでもない邪悪な代物になってしまうと言うお話をしているのです。
これにつきましては、序章『世界初の音楽療法』の【ルソー】の名言集の一節、
『いかなるものでも、自然と言う造物主の手から出る時は善で有る・・・』
の一説を再び思い出して下さい。
このくだりも決して、
【宗教や戦争、プロ・スポーツ】が
良いとか悪いとか言う
お話では有りません
この世は全て、銭儲けが母体の宗教が基盤となる【資本主義社会】がガッチリと仕組まれ、この宗教が戦争や諍いを生み出し戦争の無い平和な世界では「プロ・スポーツ」と言う形に姿を変え、どちらも元来素晴らしい物なのですが、共通していますのはその素晴らしい物の本質を、正しく理解せず心の歪んだ輩によって目先の銭集めに終始している軍団になってしまっている事です。
その中味をちょっと覗き見しますと、とてもとても人とは言えない実に心根の腐りきった、正に多くの政治家や国家公務員、医者軍団と同様の、卑劣卑劣で愚劣な銭に貪欲な連中が大勢群がり、宗教とスポーツを銭儲けのネタとして利用しのさばっている世の中です。(???)
元気が湧くシンフォニー第二章(完)
シンフォニー目次 |
はじめに |
序章 |
第一章 |
素敵な仲間 |
第二章 |
第三章 |
第四章 |
おわりに |
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