元気が湧くシンフォニー
幸せな人生を得るには 春川ひろし:著
シンフォニー目次 |
はじめに |
序章 |
第一章 |
素敵な仲間 |
第二章 |
第三章 |
第四章 |
おわりに |
第一章
中国の故事
☆数千年の長い歴史を持つ中国には素晴らしい故事が数多く存在します。
その中から【仙人の食事】と言う実に素晴らしいお話を一つ。
『仙人の食事』
仙人
四角い食卓を囲み、やや長い箸(当時の箸の長さは2尺⇒凡そ66Cm程)を使う食事中に、常に自己中心、自己判断、自己評価、自己美化の人としての心等全く無いとても仙人とは言えない心狭い四人の【仙人もどき】の輩の食卓では皆、この少々長い箸一つが上手く使いこなせず「何でこんなに長いんだ」等々、折角の美味しい料理を目の前にしながらも口から出る言葉は常に己が中心(⇒自己中心)の否定的発想の愚痴文句、不平不満を偉そうに連発し続けます
やがて「お前は俺よりも先に獲りやがった」とか「俺より沢山喰いやがった」とか言う相手に不満や文句をつけ、常に不平不満罵声、諍に終始し時とともに孤立無援となり皆、侘しい人生を過ごす事になってしまいます。
一方、こちらの心優しい四人の「仙人」の食卓の方は、その食卓を囲む相手方に対して常に心優しい気遣い気配りをし、そのちょっと長い箸を巧みに使いこなし相手の口元や相手のお皿に優しく運び、常に明るい肯定的発想で相手を慮り、多くの人々と日々を幸せに過ごすと言う、実に心温まる素敵なお話です。
『仙人もどき』
古今東西、世の中に実に多い自分さえ良ければと言う他人の事を慮る心等は一欠片も無い只々、口を開けば「俺俺(私私)」のみを連発し続ける心根の腐り切った自己中心で凝り固まった多くの一人前の人になる努力を一切せずの【仙人もどき】の輩だらけの集う世の中の人をこの故事は、人々が日々を楽しく過すには常に己の考えや己の都合を優先させるのでは無く、一にも二にも他人への優しい気遣いや気配りが大切な事で、それが出来て初めて楽しい日々が達成出来るのですよ、と言う人としての心掛けについて実に的確にこの【仙人の食事】のお話は教えてくれています。
論語の教え
『厄介な生き物』
全20篇512短文で構成の論語
学而第一ページ
出典:ウキペディア
☆【仙人の食事】のお話に続き、こちらも今から二千数百年以上も前から、延々と多くの人々に語り継がれている皆さん良くご存知の「論語」の一説
子曰く
『人は皆、己ひとりでは何一つ正しい事は出来ず、只々、間違いのみを引き起こす様に仕組まれている、実に厄介な生き物で有る』
『人は皆、己ひとりでは絶対に己の間違いに、気付け無いと言う、これ又実に厄介な生き物で有る』
間違いを恐れない
子曰く
『だからと言って人は皆、己の間違いや欠点に対して、決して恐れたり、恥じたりする事は無いので有る』
『常に己以外の他人の力を必要とする様に人は皆、生まれ乍ら、仕組まれている生き物なので、いち早くそれを知り理解し、常に他人の力を得て、己の過ちを見つけ出し、その過ちを改めさえすれば良いので有る』
論語の凄さ、素晴らしさは正に、
この一説に有り
『種族保存の大原則』
全ての生き物の種族絶滅の危機を防ぐ為の大原則は単体や固有種では種族保存は絶対に不可能な為、決して一匹、一頭、一人と言った単体では無く必ず、【オスとメス、雄花と雌花、男と女】と言う様に、全く異なるDNAを持つ物同志が、各々の機能や特性をしっかりと融合し合体して生きて行く事が、種族保存の大前提条件となっているのです。
全ての生き物は一匹、一頭、一人、と言う単体では何一つ正しい事を為せる能力は備わっていない未完成状態で、常に己以外(⇒異性の)の力や判断が必要絶対不可欠となると言うのが【種族保存の大原則】なのです。
それ故、如何なる人も人は皆、他人との連携、協調無しでは生きて行く道は無いと言う宿命を、背負っていると言う事を「論語」は、しっかりと諭ています。
『間違いからの脱却』
この「人は一人では只々間違いだけを引き起こす実に厄介な生き物である」言う一説が正しいとなると、自己判断、自己美化、自己評価に頑なに固執している自己中心で半人前のお子チャマレベルの人は、正に極めて惨めの一言です。
人は【無くて七癖】と言います様に、自分では気付く事が出来ない己の欠点や間違いは一つや二つでは無く、少なくとも数個は有って当然なのです。
それ故、一人前の人になる努力をするのに先ず大切な事は、他人の言う言葉にしっかりと耳を傾け、己自身では知る事の出来ない己の欠点や間違いをしっかりと知リ、そこをコツコツと改める事が大切なのです。
の努力を惜しまない人が楽しい人生を享受出来る第一歩で有り、これを怠ってしまっては楽しい人生は自ずと遠のいてしまうと言う事なのです。
論語は更に
湯島聖堂の孔子像
出典:ウキペディア
『人は皆、他人の言う事を快く受け止めないのも、立派な人間の性であり、それはそれで致し方無いのだが、日々を楽しく生きるには如何にして己の考えを優先させる事無く、他人の力を借りて己の間違いをいち早く見つけ出し、それを正して行くと良いのだが』
と説いています。
『言うは易く』
ところが、全ての人にはこの素敵なくだりを正しく理解し、いざ実践しようとしてもそれを素直に出来なくしてしまう実に大きな大きな要因が潜んでいるのです。
言うは易く、行うは難し
その最大要因が、その人の乳幼児期の環境で、特に鍵を握るのは母親の躾です。
子供の成長の為に親は子供の保護手助けをするのは極めて当然の事ですが、
過保護に良い事は、何一つ有りません。
『落とし穴』
全ての母親は自分の子供に秩序有る躾を施すのが大切な責務で有る事位は、充分理解していますし勿論、過保護は良くない事はこれ又充分理解しています(つもり?)が、目の前の我が子が余りにも可愛いので、他人から観たらとんでも無い無茶苦茶でアホな過保護をしている事をし続けている事にも気付かず、結局その子供の将来をマザコンの甘ったれにし台無しにしてしまうと言う自然界に仕組まれた、そこには実に恐ろしい【落とし穴】が有る事に気付かない様に出来ているのです。
『トラウマ』
この世の中に実に多い(無知無能で厄介な)バカ母親が冒す我が子可愛さ一辺倒の何一つ正しい事の無い間違いだらけの過保護がガッチリとトラウマ化(⇒先入観)して、その子供の方は一人前の人になろうにもその努力が出来ないまま成長し、表向きは人としての体裁は整っていても、中身は全く乳離れ親離れが出来ていないマザコン人間なので、他人に対して一切心が素直に開けない極めて視界の狭い人となり、自己中心、自己判断、自己美化、自己評価に徹し、良き友、良き仲間、良き伴侶、に巡り合えずの実に哀れで惨めな、生涯を極めて了見の狭い何一つ正しい事の無い自己中心人間のままの実に淋しく哀れな人生を過ごす事になってしまうのです。
過保護の恐ろしさは、
する方もされる方もこれに気付く事は
先ず(生涯)、 有り得ないと言う
実に厄介な代物です
マザコンで半人前のお子チャマ人間は必ず時と共に周りの人と疎遠となり孤立無援となり幸せとは縁遠い極めて惨めな達人となり、ストレスをいっぱい溜め込むばかりか、多くの病いや災難を呼び込み立派な仙人もどきの糞ったれ人間となってしまいます。
周りの人々はその様な人を見ると、必ずこう言います。
昔は、あんなでは無かったのに···
人を不幸にしてしまう、
過保護は絶対にいけません
天才軍師 孫子
☆素晴らしい論語のお話に続きこちらも今から二千数百年程前の中国のお話で、
大変素晴らしい、一人の天才軍師「孫子」のお話です
『凡そ戦とは』
孫武(孫子)像
出典:ウキペディア
巷でちょっとした話題となっている天才少年の話を聞き、皇帝が興味を抱き呼び寄せた為、宮廷にノコノコとやって来た弱冠16歳の孫子と言う一人の少年が時の国王と接見し「乱世のこの世では戦の際には兵法なる物が必要不可欠となります」と力強い提言をします。
その時代は戦とは常にやってみなければ分からず、勝敗はその時の運次第で決まると思われ【祈祷、風水、願かけ】等が常識の時代、兵法と言う言葉すら無かった時代に、僅か16歳の若造が、時の国王に対し突然この様な提言を持ち出す事は穏やかな事では無かったのですが、その時の国王は孫子の目に光る物を見て、
『約束』
「良かろう、ならばそなた(⇒孫子)にこれから一週間の時を与えようぞ、そして私の誇る最強軍団の中から私が選び抜いた精鋭達と、私のハレムの女共を夫々百人づつを用意しよう、そなたはその女共百人を指揮して闘い、私の選び抜いた最強の百人の男軍団に勝利したら、必ずや多大な褒美とこれからの我が軍の指南役と我が軍の指揮官としての、役職称号を与えようぞ」
と約束をします。
国王は、この様な無理難題でこの若造(⇒孫子)は必ずや尻込みすると思いきや、尻込み所か孫子は堂々と胸を張り
「有り難う御座います。必ずや、我が軍の勝利をお届け致します」
と答え、直ちに実践準備に取り掛かります。
『最強軍団』
その話を聞いた、国王の最強軍団の中から選び出された屈強な百人の男共は皆、「何を抜かすか馬鹿々々しい、女共相手の戦なんて全くお話にならんわい」と皆、酒を酌み交わし無論、戦の準備等に手を付ける者は誰一人としていない。
『腰抜け軍団』
一方の、国王のハレムの中から選び出された、これ又アホで間抜けで腰抜けの百人の女共はこんな戦が実際に実行されたら自分達の明日の命は無いと言った空気一つさえ読まず「うっそでしょう、信じられな~い」と言った皆極めて幼稚で無能なお決まりのパターン、16歳のイケメンお坊ちゃま孫子の一挙手一投足に、何をしても何を言っても只々ワ~ワ~キャ~キャ~「可愛いいっ」とか「イケメン」等と喚き散らし、孫子の言う事の一つ一つに「あ~でも無い、こ~でも無い」と自己中心の自分達のアホな世界に没頭し、孫子の言う事も他人の言う事等一切耳に入らないし、聞こうともしない見事な自己中心で自己美化の有様。
『伝達命令』
その時孫子は百人のハレムの女共の中から国王が最もお気に入りの【No.1】と【No.2】の妃を国王と女供の目の前に引っ張り出し、即座にその二人の首をバッサリと切り落とし、二本の槍の先端に生血の滴るその二つの生首を晒、「皆の者、良く聞くが良い、今からは私の命に背くと皆この様な結果になるので覚悟をする様に」と告げます。
目の前で最愛の妃を失った国王は大慌て、ハレムの女共は皆恐怖のドン底に狼狽えます。
『実戦教科』
孫子は、直ちに腰抜け女共に隊列の仕方、槍や刀の持ち方や使い方素手の使い方、防御攻撃の仕方等々、あらゆる分野の戦術訓練を開始します。
目の前に生き血の滴る二つの生首が晒されているので、腰抜けの女共も皆孫子の一言一言に死に物狂いで従い、三日もするとそこそこの腕前を身に付けてきます。
更に併行して戦に最も重要な戦術や戦略等をしっかりと叩き込み、国王と約束の一週間が過ぎます。
一方、百人の最強軍団の男共は「何を抜かすか、冗談じゃ~無いよ、たかが妃の一人や二人の首をぶった斬ったとしても、所詮女は女、全くお話にならんわい」と皆、相変わらずの酒三昧の日々。
『勝利の行方は?』
皆さんもうお判りでしょう、一週間後の国王の前で行われた戦いは孫子軍の圧勝。
【歴史の書には】女軍団の孫子軍の負傷者はかすり傷程度の僅か数名。
選ばれた男百人の最強軍団に生き残った者は誰一人いなかったと記されています。
これで孫子の名は歴史上に
しっかりと刻まれたのです
世界初の兵法書
『呉越の戦い』
二千五百年程前の中国の春秋時代に長江(⇒揚子江)流域で繰り広げられた、歴史に名を残す【呉越の戦い】で圧倒的勝利をした呉の国の軍師孫武(⇒孫子)は、(この戦の半世紀後に呉は越に滅ぼされますが)中国初の十三篇からなる戦の本質を極めた【孫子の兵法書】を書き記しました。
『孫子の兵法』
この孫子が書き記した兵法書は、その後多くの人々に末代迄語り継がれる、正に戦のバイブルで有り人生の指南書にもなっています。
孫子の兵法書
『兵法十三篇、第三章』
孫子の兵法書は十三篇で構成され、その第三章【謀攻篇】の最後に、
【凡そ戦とは先ず敵を知り、
己を知り 百戦、危うからず】
と記されています。
孫子の兵法書
出典:ウキペディア
この一節は、長年多くの学者によって様々な解釈が為されておりますが、どれも一貫している事は戦をする際に最も大切な事は、先ず敵を、即ち相手を充分知り尽くす事が最も重要な事であり、それ無くしては如何なる戦も戦にはならないと言う事です。
井の中の蛙 大海を知らず
一にも二にも先ず敵を良く観察し、充分知り得たらそこから己の欠点や弱点を、しっかりと見つけ出し、そこを徹底的に鍛え(⇒変える)強化する事。
人の振り観て我が振り直せ
これは正に論語の一説と、
完璧に一致します
『日々が戦』
人は(⇒全ての生き物は)日々生きて行く事自体、正に戦(⇒闘い)その物なのです。
古今東西、その悪しき慣習風習につかり、無知無能のバカ親の過保護で育て上げられた利己主義で凝り固まったマザコン人間は例えそれが国王で有ろうとも、只々己の都合を優先し、他人を慮る心等全く無い俺俺(私私)に終始し、口を開けば低次元の自己主張をし続ける間抜けなマザコンの我儘人間なので、そんな輩が敵国と戦をする資格等は到底持ち合わせていないので「とてもとても、戦になんかなりませんよ」と、何と16歳と言う若さの孫子は時の国王に堂々と提言をし、実践行動をして見せ、軍師の資格を勝ち取り越との戦いで呉の国をしっかりと勝利に導いたのです。
『孫子も孫子』
このお話【孫子も孫子】だが孫子の話をしっかりと聞き入れ彼の素晴らしい才能を見事に見抜き、国王自身も日々己を変える努力をし、乱世の時代に一つの国を立派に統治し収めた【国王も国王】と、このくだりは後世に語り継がれています。
『先ず、聞く』
全ての物事、百人いれば百人百様の解釈が有って当然で、そんな中で日々を楽しく過ごし、幸せな人生を得るには「己一人の考えには何一つ正しい物は無く、只間違いのみを引き起こす実に厄介な生き物で有る」と言う事をしっかりと体得し先ず、【他人(⇒16歳の少年の)の話を聞く】事に徹し、そこから常に己を変える心掛けが必要になると言う事です。
病は気から
『常備薬』
何となく、胃の調子が良くないと思い込み長年身勝手な自己判断で高価な胃薬を飲み続けて来たが一向に良くならない所かどんどん増長し悩んでいたら、それは安易に薬に頼る貴方の脳ミソに問題が有りなので、直ぐに薬を止めて見てはと言われ実行したら完治し、それ以降一切薬を飲む事の無い人生になってしまった。
『杖』

足を骨折し杖をつく
足を骨折し、リハビリ治療の際に杖を使い始めたら日々、胸の痛みがどんどん進み、これはすっかり新しい病気になったのではと思い込み、専門医に打ち明けたら「貴方は今迄に無い杖を使う生活を始めたので、その負担が胸を圧迫しているからですよ」と言われ、そこを改めたら正に目から鱗、すっかり良くなってしまった。
『枕』
猫背で凄く悩んでいます、と寝具の専門家に打ち明けたら「今迄の少々高い枕を低くすれば良い」と言われ、直ぐに実行したらあんなに嫌いだった猫背がすっかり完治。
今では、胸を張って歩ける散歩が大好きになってしまいました。
『歯医者』
本人は自分は結構イケメンと思っていたが、どういう訳か付き合いが続くと女性は皆去って行くと言った悩みを打ち明けたら、それは口臭が原因なので歯医者さんに行くのが良いでしょう言われ、そうしたら今では素敵な嫁さんと楽しくしています。
この様に全ての間違いは、無知無能で自己中心に徹し、自信過剰の自惚れの強いアホで間抜けで間違いだらけの母親によるマザコンから脱却する努力をせずの、人の話を素直に聴く事が出来ずの【井の中の蛙】状態にしてしまい、全てが身勝手な思い込みから派生する物で有り、全ての病や不平不満、愚痴文句等は、決して相手の問題では無く、全てそのご本人自身が引き起こしている物なのです。
聞くは一時の恥、聞かずは一生の恥
『無くて七癖』
【人は無くて七癖】と、言います様にどんなに数多くの経験や知識を得た人であったとしても、己の思い込みや間違いには(自然界の原則では)決して己では気付かない様に仕組まれていますので、常に他人とのコミュニケーションを多くして、常に問いかけをし、先ずは人の話を良く聞き、そこから常に己を正す(⇒変える)と言う地道な努力をコツコツする事が、一人前の人になる為の絶対的必要不可欠条件だと言う事です。
福沢諭吉の七訓の第3番目の訓示は、
世の中で一番みじめな事は
人間として教養の無い事です
『自己診断』
全ての人に共通しているとも思われます「私は決して満点では無いが、結構間違いはしない」と、人の意見は聞かず身勝手な自己判断で思い込んで慢心している心狭いお子チャマの皆さんは、時と共に必ず多くのストレスを抱え見事に醜い妖怪になって行きます。
これは何故かと申しますと、論語の「人は一人の考えに何一つ正しいものは無く、只間違いを冒す、と言う実に厄介な生き物で有る」と言う一説を思い出して下さい。
大事な事は、人は自分一人の考には何一つ正しい物は無いと言う事をしっかりと知る事で、仮にその時そこに相談しようにも周りに誰もいなくて、そこに犬か猫しかいなかったら、その犬か猫に素直にお伺いするのも良いでしょう。
と言う程、人一人の考えには正しい事は何一つ無い生き物だと言う事をしっかり理解する事です。
他人からの話を聴き理解し、己の間違いをいち早く見つけ常に己を変える人になるのが人としての絶対条件なのですが、殆どの人々は、どう言う訳か常に他人には余計なおせっかいやちょっかいに終始し、目先のどうでも良い事を適当にやってのけ、自己満足し【自分は結構一人前で他人に対しては気配りが出来る】と身勝手な決めつけをし、更に始末に悪い事に「私(俺)を判って繰れる人なんていないから、私(俺)は人の話なんかは聞かないのっ」等とほざく、実に哀れなお子チャマで、人としての素晴らしい才能の全てを失ってしまい、時と共に必ず多くのストレスや多くの病いや事故災難を呼び込み容姿始め、これ又立派な妖怪様に変身して行きます。
その最大要因は無知無能のバカ親(⇒母親)が冒す異常な過保護が全てなのです。
過保護とは人が一人前になる為に必要な、乳離れ親離れが出来ずの我儘が強烈にトラウマ化し一生その人に纏わり付いてしまう、実に恐ろしい極めて厄介な代物なのです。
『自暴自棄』
乳離れ、親離れの努力せずのお子チャマは当然、素敵な他人からの助言や協力援助等を得られず孤立して行きます。
「私(俺)の事を分かって繰れる人なんて誰もいないよ」と言うのは大きな間違いで、いち早く過保護一辺倒の世界から自力で乳離れや親離れをして、一人前になるご本人の努力が必要なのですがそれが出来無いのです。
だからお子チャマなのです。
♩ ♪♬♫
『赤いサラファン』
ユーチューブ ロシア民謡 「赤いサラファン」
歌:鮫島 有美子
ユーチューブで歌詞の表示法
ユーチューブで歌詞の表示法
ロシア民謡の、赤いサラファンの日本語訳詞をされた津川主一さんが、若くて美しい無知無能の娘が他人の忠告を聞き入れず自信満々の自惚れだけで、一人前の人になる為の努力を馬鹿にして何一つしないお子チャマは、あんなに綺麗で可愛くて誰からも愛されていた娘なのに見事な醜いブタ以下の妖怪に変貌して行く光景を見事に描いています。
皆さん、
ここで一つ大きな背伸びをして、ユーチューブを視聴しながらこの歌を歌ってみましょう。
『大局観的視野』
一人前の人になる努力をしない為、或いはその努力とは何かが解らずで、自分をしっかりと見る事が出来ずの心狭い過保護育ちのマザコンの世界から抜け出せずのお子チャマの皆さんの共通点は、
(1)頑なに己の主義主張に固執している為、人の話を全く聞こうとしない
(2)己を変えようとする、勇気、厳しさ、気力、根性が全く無い
(3)視界の狭い目先の出来事に異常に拘る心狭い人なので大局観的視野で物事を捉える事が全く出来ない
実に哀れな自我意識の強い未熟児で、会話は決まって私私(俺俺)が主語の極めてどうでも良い話を常に相手を制し、自己主張に専念する哀れで心淋しい人になります。
このお子チャマは、
生涯こんな自分に気付く事は有りません
『空気読めず』
周りの空気は何一つ見えずのマザコンの過保護育ちでは、その場の空気を読みとる事が出来無いばかりか、相手の言う事等は分からないばかりか、全て理解していると身勝手に自信満々決めつける間違いを犯します。
普通の人ならこの程度のアホな行いは誰でも気付き、直ぐにそこから己の間違いに気づき改められる努力をするのですが、乳離れや親離れが出来ていない過保護育ちではそれが出来ないのです。
人は成長と共に独立独歩の努力をする事は絶対的必要条件で、これをしない人は時とともに日々ストレスを溜めこみ、やがて体調不良等を引き起こし惨めで淋しい人生を過ごす様になります。
その様な人々が決まって言う言葉は、
いいんだよ、人がどう思うとも、
俺(私)がいいと思っているのだから
『人とは』
「孫子の兵法」の、先ず敵を知りや論語のお話の【人は一人では只、間違いを冒す実に厄介な生き物である】の通り、自然界の原則では人は実に厄介な生き物だと言う事を肝に銘じ、他人の言う事を熱心に聞く心掛けが大切で、人の話を聞かずでは当然、自己中心のアホ人間になりますので、そうならない為に大きく心を開き、どんなに辛くとも乳離れ親離れをしっかりとして、先ず人の話を良く聞く人になり、己を変える努力は絶対必要不可欠で、「私は(俺は)いいんだよ」等と呑気で甘ったれた事を言ってる様ではお話になりません。
『妖怪様』
如何なる人も成長過程で乳離れ親離れをする事は大事な事で、これを怠り間違いだらけの己の考えに執着し、人の話を聞く耳を持たないお子チャマの皆さんは、時が経過すると必ず惨めな敗者、即ち立派な「仙人もどき」のそれこそ誰もがその人から遠ざかって行く到底、人とは言えない立派な妖怪様になってしまいます。
その様な皆さんの口から決まって出る全ての会話は、常にどうでも良い自己中心の己の過去のホラ話や、嘘だらけの自慢話を繰り返し「だから私は◯◯なのだ」と偉そうにほざきます。
そんな相手見ずの驕り固まったくだらない話を聞いて繰れる相手が必要となる為、その人は金力と権力、地位等には異常に執着するさもしい人となります。
そして古今東西、その様な妖怪様の口から出る決まり文句は、
私(俺)も、もう年だから(アッホやねぇ~)
『 十人十色 』
人の考え方や、物の価値観等は【十人十色】数億の人がいれば、数億通りの考え方や物の価値観が有り何一つ同じ考え方は存在し無いのも当然です。
了見の狭い己の間違いだらけのお粗末な主義主張に固執し、銭や地位権力やプライド等に一生懸命エネルギーを注ぐよりも大局観的視野の物の考えで、他人の意見を取り入れる自分に変え、人生を楽しんで行く方が極めて自然な一人前の人となる事位、誰でも分かる筈なのに自己中心で哀れなマザコンのままのどこかのお国のトップを始めとする過保護で育ち、マザコンのお子チャマの皆さんは古今東西、相手を受け入れる人としての心等が微塵も無いので、ここが全く理解出来無い、人としては最低人間なのです。
『他人の非難誹謗』
更にこの心狭い(⇒お子チャマ)皆さんに共通しているのは、ちょっとした自分の思い通りにならない不都合な出来事等が派生しますと、それは必ず不平不満の材料となり我儘な自分の主義主張を強烈に推し進める為に、ひたすら相手の欠点やミスを見つける事に専念する実に卑怯卑劣で心狭い哀れな人となり、他人の非難誹謗を得意とし、偉そうに自己美化、自己満足に徹する、これ又極めて惨めな達人となります。
この様に甘ったれの心根が腐りきったお子チャマは他人を素直に認める事が出来ませんので、己以外の全ての他人の行いには必ず否定的発想の不平不満を言い続けます。
に不思議な事は、その様なお子チャマは己の幼稚さ未熟さバカさ加減を自らが、熱心に必ず人前で告白し、一生懸命他人にその愚かさを言い振らす様になるのです。
正に、立派な幼稚でお子チャマそのもの
得てして
あの人は心の冷たい人だ | と他人を身勝手に決め付けている人は、私は典型的な心の冷たい、間抜けな人間なのですと、自らが人様に熱心に告白しているのです |
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あの人はケチだ | と他人を身勝手に決め付けている人は、私は極めて底意地の悪い、心が歪んだ極めてドケチな人間ですと、自らが人様に熱心に告白しているのです |
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あの人は我儘だ | と他人を身勝手に決め付けている人は、私は人として優しい心等全く無い、最低最悪な我儘な人間ですと、自らが人様に熱心に告白しているのです |
|
あの人は嘘つきだ | と他人を身勝手に決め付けている人は、私は他人の言う事を受け入れ無いばかりか平気で嘘をつく、極めて無責任な人間ですと、自らが人様に熱心に告白しているのです |
|
あの人は何を考えているのか分からない | と他人を身勝手に決め付けている人は、私は無知無能者で何一つ確たる考えや、意見を持たない何を考えているかまるで分からない最低な人間ですと、自ら人様に熱心に告白しているのです |
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あの人は【私、私⇒俺、俺】の主義主張の連続で鼻持ちならない | と他人を身勝手に決め付けている人は、私はマザコンで自惚れと甘ったれの極めて強い、どうにも鼻持ちならないアホで間抜けな人間ですと、自らが人様に熱心に告白しているのです |
『鏡に映る己の姿』
全ての不平不満は【捕えてみれば我が子なり】と言う様に、決して人様がどうのこうのと言う物は何一つ無く相手の行為に不平不満を抱き、他人を非難しているお子ちゃまは、他人の行いが自分と同じ様に振舞われると全て不平不満の材料になってしまうのです。
全ての不平不満は正に、鏡を見ているが如く紛れも無くその不平不満を持ち合わせているご本人のアホで哀れな姿その物なのです。
人の振り見て、我が振り直せ
全ての不平不満は、実はそのご本人が長年に亘り一人前の人になる為の必ずやらねばならない努力をサボって来た過去の膨大な量の怠慢行為が原因であり「貴方は直ぐに己を変える必要が有る」と言う有り難き一つの警告なのです。
これは実に不思議な事ですが、どういう訳か人は己の劣っている所を、必ず自らが口にして他人にひけらかし、披露すると言う実に奇妙な生き物でも有るのです。
全ての不平不満は決して他人様が引き起こしている物では無く、全て己自身が引き起こしていると言う事が分かれば、その解決方法は簡単です。
先ず、不平不満を感じた時は、己はそこから一人前の人になる努力をするのが良いと言うとても有り難き警告(⇒忠告助言)を貰っていると言った感謝の気持ちに変え、コツコツと努力をする方が得策なのです。
『マイナス思考』
自己中心で「私(俺)は完璧では無いが、決してそんなに大きな間違いはしない」と身勝手な決めつけをし、他人の言う事は一切聴かずの自己判断、自己評価、自己美化に終始する、一昔前の日本の軍国主義時代の全てが狂いに狂ったアホで間抜けな無知無能なバカ政治家と同様の唯我独尊を貫く視界と心の狭い人々の口からは常に、何一つ正しい事の無い虚ろで侘びしいマイナス思考の会話に終始します。
口は禍の元
『リンカーンの一言』

末っ子タッドと本を読むリンカーン
1809~1865年暗殺
出典:ウィキペディア
日々己を変える努力をせずの人は年と共に、必ず醜い顔や容姿の、立派な妖怪様となります。
アメリカの第16代大統領のA(エイブラハム)・リンカーンの「人は50歳になったら己の顔、容姿、行い、全てに責任を持て」は正に明言です。
『人と違う』
自然界の全ての生き物は姿や形がそっくりなマグロでも、隣のマグロとは必ずどこかが違い、同じ物は二つ有りません。
ところが全てのお子チャマと言われる人は皆、頑なに自分だけは人とは違うと言う極、当たり前の一点に奇妙に拘り続ける生き物です。
『独りよがり』
自分さえ良ければと言う心侘びしいお子チャマは、常に強烈な自我意識の自己中心で凝り固まり、あらゆる物を貪欲に独占し、人より美味しい物を、人とは違う、◯◯ブランド品をと、少しでも自分は他人とは違うと言う大局観的視野等は全く無く只々自分さえ良ければと言う極めて狭い了見の発想だけで、家だろうが、学校だろうが、車だろうが、装飾品だろうが、趣味だろうが、◯◯でも、××でも常に自己美化と自己主張をし続ける人になります。
この様な人は一倍自我意識が強い自信過剰なので、己に間違いは無いと自己評価に徹していますので、この様な下らないお話を理解出来るお方は誰一人として居りません。
『外見』
少しでも他人から自分の間違いや欠点を指摘されたり注意されたりしますと、突然キレて怒りだしあおり運転をするなり、他人攻撃に専念する恐ろしい皆さんに共通して見られるのが、ややポッチャリ系のポニョ肥満体形、無節操な拘りや依存症とも言える道楽や収集癖、飲酒、薬物依存症等々、糖尿病や高脂血症、認知症、痴呆症、健忘症、腰痛等々の実に多くの生活習慣病とも言える病いの要因となるネタや、事故や怪我災難をこれ又多く収集する努力をし続け、お見事な妖怪様に変身します。
『子供は親を選べない』

子供は親を選べない
無知無能で間違いだらけの身勝手極まりないバカ親が造り上げたレールの上を、生まれてから直ぐにとんでも無い過保護で甘やかされ、大局観的視野で物事を見る機会や余裕等は一切与えられず、只々親の言う通りにノホホンと生きて行かねばならない世襲、或いはその様な環境を宿命的に背負ってしまった人や、それと同等の過保護一辺倒で育て上げられてしまう世の中実に多い無知無能で哀れな箱入り娘、或いはボンボン息子の皆さん、親の方は子供にあらゆる身勝手行為を押し付ける事が出来ますが、子供は親を選ぶ事は出来ません。
生まれてから只、親の言う通りに生きて行かねばならないのです。
全ての親は我が子可愛いさから、過保護にして甘やかしその生涯をないがしろにして仕舞うのは決して良く無いと言う事位は充分分かってはいますが、いざ目の前の可愛い自分の子供に接すると、途端にそれが狂ってしまい過保護にしてその子をダメにしまうと言う、自然界の法則による強烈で、実に恐ろしい落とし穴がしっかりとそこに仕組まれているのです。
『 可愛い子には旅をさせ』
これは子供に旅を、と言う表向きの意味合いと我が子可愛さに溺れ、子供の成長過程に於いて最も大切な乳離れや親離れをする為には、親から一定の距離を保ち、社会の荒波に独自の目線で直接接して、その子に自立する機会を作りましょうと、身勝手な過保護をし続けているバカ親を戒める意味合いも込められた諺です。
『一人前の人は』
しかしながら、仮に親の過保護度合いがどうで有ったとしても、その人に与えられた人生は素晴らしい物であり、その人の宿命なのです。
なのに不都合な事は全て他人の所為にしている様ではその人は幾つになってもお子チャマです。
日々世の中を賑わしている凶悪犯罪事件等の、犯人に年齢や性別国籍等は関係無く、多額の横領事件、殺人事件やセクハラ事件、いい年のお偉いさんが犯す話題の高齢者の運転事故等々は全て、我儘で無知無能なバカ親が我が子に自立する機会や道筋を奪い取られてしまった為、一人前になれずで過ごして来た哀れなお子チャマによる極めて惨めで悲惨な結末なのです。
これ等の全ての事件の源はバカ親の過保護故の結果で有り、ご当人はむしろ被害者と言っても過言では有りません。
然しながらその子供は、決して親に文句を言ったり避けたり逃げたりする事は出来ません。
己がやらねばならない事は、いち早くその過ちだらけの宿命をしっかりと本人の力で気付き、努力(⇒乳離れ、親離れ)して己を変えて行く事が、その人に課せられた使命であり、それが出来て漸くその人はお子チャマから一人前の人になれるのです。
『俺俺詐欺』
お子チャマ人間に金銭問題等が派生しますと、全てが自己中心の己だけを優先させますので、親の財産だろうが人の財産や税金だろうが何で有ろうが、相手構わずの手前勝手な恐ろしい犯罪に姿を変え、日々社会を賑わします。
安定した社会的地位を保つ世襲でお育ちの国家公務員や医者等の皆さんには極めて当前の物の考え方の天下り、汚職使い込み等々から始まる数々の恐ろしい犯罪や全ての詐欺事件、俺俺詐欺等の忌まわしい事件となり、これらは決して後を絶つ事は有りません。
『生き物の宿命』
全ての生き物の大原則の、一匹、一種、一頭、一人、では、只々間違いのみを引き起こす実に厄介なDNAが備わっていて人は一人前の人になるには己一人では絶対に見出せない、本人の間違いや欠点を他人の力を借りていち早く見付け出し、それに気付き改めて行く努力は絶対不可欠なのです。
それには常日頃、他人との協調をしっかりと保つと言う協調精神もこれ又絶対不可欠となり、了見の狭い間違いだらけの自己判断、自己中心に終始していてはいけないのです。
『孤立無援』
人は「乳幼児期」には優しい親や家族がいる家庭が有り、「幼年期」は、保育園や幼稚園小学校と言った新しい世界が始まり、沢山のお友達や優しい保母さんや先生がいて、「成長期」の学生時代は、同僚や自分の将来の人生の方向性を担う程の大切な友達や先生や学友がいて、「青春時代」は、素敵な仲間や恋人が出来たりして日々、多くの学習をし、大人の世界に仲間入りしますが、一人前の人になるにはそれから更に数年を要すると言う自然界の生き物の中でこれだけ未熟児期間の長い甘ったれ生き物は他にはいません。
全ての生き物は一匹、一頭、一人と言った個体では生きていけず良き友、良き伴侶、良き家族は大切ですが、甘ったれた環境で何一つ不自由の無い世襲等でお育ちのマザコン人間が年を取り「五十代頃」になりますと、周りにあれだけ沢山いた素晴らしい友達や仲間がいつの間にか去ってしまい皆、孤立無援となって行きます。
独立独歩が出来る楽しい「六十代(還暦)から」の人生には、多くの人に支えられて来た事に感謝する事を忘れてはなりません。
それにはやる事をやる必要が有りますが、残念ながらマザコンで過保護育ちのお子チャマはそれが出来ません。
『敵は我に有り』
「論語」の【人は皆一人では、間違いを犯すばかりかその間違いに気付けず、他人の力を得て己の間違いを知り己を変えて行くのが人の道である】と言う事ですが、大事な幼少期に甘ったれ感覚にどっぷりと浸かったバカ親から強烈に叩き込まれトラウマ化した恐ろしい過保護はちょっとやそっとの努力では脱却するのは不可能な難問です。
しかし一人前の人になるには弁解や言い訳等は一切許されません。
仮に世襲等の過保護があっても、人になるには己の力でクリアーしなければならないのです。
『お粗末総理大臣』
ある国のお粗末総理大臣が「あの時◯◯党が、我々の審議に応じてさえくれれば」と言った極めて甘ったれた発言。
この様に相手がどうのこうのと言った低次元の会話では無く、相手を良く知り己の力量を良く理解し、己の劣っている所を見出しそこを改め変えて行く努力を謙虚にする心掛けが必要なのに古今東西、世襲が当たり前の全てのボンボンや箱入り娘の、大臣や議員さん達は己に不都合な事は何から何迄、他人の所為にする甘ったれ考えに終始し一生懸命自分を庇う低レベルの輩です。
ここで序章の【ルソーの名言集】を思い出し下さい。
『子供を不幸にする一番確実で安易な方法は、 なんでも子供が欲しがる物を、 手に入れられる様にしてやる事である』
他人の事等は微塵も考えず、只自分だけが楽出来る甘ったれ感覚の世襲を貫き、我が子だろうが何であろうがその好都合の世継ぎを死守する為に利用し溺愛し過保護を貫くバカ親が冒した結果と言っても過言では無いでしょう。
問題はご本人がその世界から己の力でいち早く自立し、間違いだらけの過保護の世界から脱却して一人前の人になるかどうかが人として問われるのですが古今東西、全ての政治家の皆さんはそれをしないので残念ながら惨めな「お粗末総理大臣」と言われてしまうのです。
『鬼の首』

鬼の首
一見、何の過ちも無い事をやったのに結果が大違いと言った話は良くありますが、何一つ不自由の無い甘ったれた世襲の様な環境下でとノホホン育ち、ヤボな自己中心、自己判断に凝り固まり他人を理解する能力の無い身勝手な心狭い人としての心等は全く無い輩が、相手を蔑すみ、驕り感覚で「これなら誰でも喜ぶだろうとか、これ位は常識」程度の甘ったれ考えで取り組み、それがお手上げ状態になったからと言って、都合の悪い事は全て人様の所為にし、非難誹謗中傷をしている様では全くお話になりません。
全ての不平不満は常に「己に有り敵は我に有り」で、論語の『人は己一人の考えには何一つ正しい物は無く只間違いのみを引き起こす、実に厄介な生き物である』を良く理解し、全ての不満は己自身が作り出している事にいち早く気付き、そこを改める人になる事が、人が人となる為の絶対必要条件なのです。
全ての物事に共通しているのは、
事実は事実、真実は真実です
『仙人もどき』
お子チャマ人間のままでいますと気が付けば、不平不満愚痴文句や言い訳の達人になってしまいます。
日々己の赤っ恥を人様に曝し、多くのストレスを作って生きて行く人生よりも、常に相手を慮り、相手を尊重し、そこから己を大きく変えて行く努力をして、些細な出来事にも大きな喜びや感動を掴み取る「仙人様」の様な、素敵な一人前の人になるかならないかはその人その人の問題で有り決して他人がとやかく言う問題では有りませんが、己を過信し己を変える努力をしない様ではどうしようも無い実に哀れなクズ人間のまま、一生を終えてしまう事になるのです。
『仙人様』
その反対に他人を慮る心優しい気配りや気遣いをする努力をし続けるとその人は立派な仙人様になれるのです。
乳児期、幼児期、成長期、青年期を自然界の中で延々五十年程の長い時間を掛け漸く、六十歳(⇒還暦)頃になってから独立独歩の一人前の人となる道程に到達する人間程、未熟児期間が長い甘ったれた生き物は、この自然界の中には他に存在しません。
ここを良く理解し甘ったれの世界からいち早く脱却する努力を惜しまない人になった方が良いのかも、と言ったお話です。
スポーツマンシップ
これは筆者が、
イギリスのウエールズ地方の
美しい町に行った時のお話です
『リチャードお爺ちゃん』
イギリスの南西部に位置する、ウエールズ地方に住む友人が
「私のお爺ちゃんは実に凄い【ジャパニーズ・クレージー】なので、良かったら家に遊びに来てもらえないだろうか?」
と言われ、訪ねて行きましたら正に典型的なイギリス・紳士(Gentleman)そのものの実に素敵な【リチャード(Richard)お爺ちゃん】が玄関先で、ニコニコしながら出迎えてくれて
「有り難う有り難う、良くぞこんな遠く迄はるばるやって来て下さいました、私は日本人がとてもとても大好きなんですよ 」
と言われ、
「どうしてそんなに日本人が、お好きなのですか?」
と尋ねると、お爺ちゃんは、
「これはちょっと昔話になってしまうけど」
と言って、少々長いお話がスタートします。
「今から60年以上も前の話だがロンドンでオリンピックが開催されてね、私はそのオリンピックを見に行ったのさ。
恐らく当時初めてと思われるがこの大会にはるばる東洋の日本選手が参加する事自体が大変珍しかった時代の話じゃよ。
《これは明治41年(1908年)の第4回大会と思われますが、未だ日本人が参加の記録は日本側には有りませんが》
その日本人選手が到着し、報道陣が押しかけその選手の足元を見て皆びっくり仰天、何と彼は我々が見た事も無いスリッパ《恐らく草履では?》の様な物を履いて靴や靴下も履かない素足だったので、報道陣は一斉に『 走る時はどうするのか? 』と尋ねると彼は『 これで走るか裸足で走ります 』と、答えたので『靴も履かない野蛮人が東洋の日本からやって来た』と各社一斉に面白可笑しく書き立て、ちょっとした話題になったのじゃよ。

5マイル走
その日本人ランナーが出場するトラックの5マイル(凡そ八千メートル)競技には我が国とイタリア、フランスに金メダル有力候補選手がいて大盛り上がり、日本人選手も予選を通過し決勝戦に進んだが、誰もが金メダルの方に興味が有ったので、野蛮人選手の存在等は誰も気にしない中で一周凡そ五百四十メートルのトラックを15周する決勝戦のスタートは切られた。
競技場は大興奮の中、残す一周の14周目には案の定この三人の国の選手がトップ集団を形成し、場内の興奮は最高潮に達し騒然となっていたその時、そのトップ集団の目の前に一周遅れとなっていた裸足の日本人ランナーがいたのだが、何と彼は後ろからやって来るランナー達が気持ち良く走れる様にとトラックの右側にコースを変え堂々とレーンを譲ったのさっ、
これは実に凄い事で、我々社会の一般常識の【試合】とは常に相手を如何にして叩きのめし、打ちのめすかが全てで、常に『俺が一番』を鼓舞するのが当たり前なのにこれは何と言う事かそれ迄騒然となっていた数万人の観客席はこの一瞬、静寂な世界になり、直ぐに再びトップ集団への大声援に戻りゴールと同時に大騒ぎになっていたのだが、周回遅れの日本人がゴールの時は観客全員が総立ち(Standing ovation ⇒ スタンディング・オベーション)となり長い間大きな拍手が鳴りやまかったのさ。
翌日の新聞には【金メダル】選手と同等の扱いで【我々はトラックで真の侍魂(Samurai Spirit)を見た】と、この出来事を伝えた程だったよっ」
と言いながらお爺ちゃんが長い間大切にしていた当時の新聞のスクラップ記事をわざわざ持ち出して来て、素敵なお話をしてくれました。
更にお爺ちゃんは
「無論、我が国には【スポーツマンシップ】と言う言葉は以前から有ったがそれは一握りの上流階級の限られた騎士道の中の一つの物で一般社会では 少々縁遠いい物だったが、この日本人選手の素晴らしい出来事からこの言葉は 広く使われる様になったんだよ、あの日以来私はいつ如何なる時でも相手を慮る素晴らしい優しい心の侍魂を持つ日本人にとても憧れ、大好きになってしまったのさっ」
素敵な話を聞き感動し、どうにも涙が止まらない春川がリチャードお爺ちゃんの手を握り
「有り難うございます、有り難うございます」
と言うと、
「とんでもない、有り難うを言うのは私の方だよ、何故ならあの日から私は ず~っと日本人の持つ素晴らしい【侍魂】に凄く憧れて人生を歩んで来たお蔭で、今日迄こんなに素敵で元気な楽しい毎日を過ごして来られたんだから、そして今日は老い先短いこの老いぼれの私の目の前に、遠路はるばる日本から春川がやって来てくれて、私は出来たら死ぬ前に一度で良いからこの話を日本の【侍】に逢って、この私の喜びと感謝の気持ちを伝えたかったのだが、今日は正にその夢が適い 私は本当に幸せ一杯で嬉しいよっ感謝の気持ちが一杯で、有り難うを言いたいのは私の方だよ、私の方こそ本当に有り難うっ」
と言われました。
筆者は勿論『仙人様』を見たり会ったりした事は有りませんが、この様な素敵な心の【リチャード お爺ちゃん】は正に『仙人様』ではないかと思いました。
こんな素敵なリチャードお爺ちゃんの
生き方には憧れますよね
これは2011年(平成23年)3月11日に
東北地方を襲った東日本大震災直後の
マスコミ界では、
余り報道されていない出来事です
『救助活動』

コンビニのレジの
お婆ちゃん
平成23年(2011年)に東北地方を襲った東日本大震災の救助支援活動の為に、海外から多くの支援団体が訪れてくれました。
その中の一つに福島県にやって来ました、総勢20数名の中国隊の隊長は、震災後の巷はあらゆる物が無く食料確保もままならないので現地に到着後直ぐに、自分達の翌朝の朝食確保の任務を若い三人の隊員に命じます。
彼等は毎朝6時前にコンビニに朝食用の弁当を積んだトラック便がやって来ると言う確実な情報をゲットし翌朝、早くから待機し弁当を確保をしてレジ迄抱えて来たのですが、どう言う訳かレジのお婆ちゃんは一向にレジを打とうとしてくれません。
イライラした隊員は何度も「早くやってくれ」と催促をするのですが、お婆ちゃんは一向にレジを打とうとしません。
『お婆ちゃんの一言』
やがて、中国語が話せる人が中に入り、お婆ちゃんが何故レジを打たないのかを問いかけますと、
お婆ちゃんは
「この方達は、よその国からわざわざ私達の国の災害救助の為にやって来られたお方達でしょう、その皆さんのお役に立てる事なら私達は喜んで何でもしたい気持ちです。
お弁当はどうぞ、そして他に皆さんに必要な物が有ったら何でも構いません、どうぞ棚からご自由にお持ち帰り下さい、お代なんか要りませんよ」
と答えます。
常に他人の事等何一つ、一欠片も考えない私利私欲に徹している古今東西、多くの歴代全てのバカ大臣や外務大臣や多くの政治家、国家公務員が束になっても勝てない程、実に素敵で素晴らしい言葉をお婆ちゃんは言ったのです。
これを言われた三人の若い隊員はびっくり仰天
『カルチャーショック』
この度の大災害でこの御婆ちゃんのお店も、大きな被害に遭遇し、大ダメージを被っているのに、こんなに酷く辛い状況下でも、日本人は常に相手を慮る優しい心が有るんだ、こんな素晴らしい美しい文化や風習は、我々も学んだ方が良いのではと、強烈なカルチャーショックを受けた三人は驚き固まり、すっかり感動してこの状況を携帯電話で隊長につぶさに連絡します。
すると隊長からは、「何を下らない事を、ゴチャゴチャ言っているのか、そんな事は一切気にする事は無いっ、弁当がタダと言うなら結構じゃ~ないか、全部貰って来い」と告げます。
ところがこの三人の若者達は隊長命令に納得出来ず、お互いが話し合いをした結果、お婆ちゃんと店内にいた人達に
「我々は災害救助の為にこの国にやって来ました。
現状は凄まじい情況であらゆる物が枯渇している中で、救助の為にやって来た我々が自分達の食糧確保を優先しているのが実に情けなく思います。
このお弁当は皆さんの為の物で有り、我々は持参して来た物が有るので充分です」
と言い、全ての弁当を棚に戻し帰って行ったのです。
更にこの若者達は隊長がこの話を聞き入れてもらえないのならと北京の若者向けのNETに
「日本のお婆ちゃんに、こんな凄い人がいるよ俺達も絶対見習うべきだよ」
と、この出来事の一部始終を配信してしまったのです。
過去の日本の無知無能の歴代全ての政治家が引き起こした身勝手で、とんでも無い悪略の限りを尽くした時代が頭にある中国隊の隊長さんが眉をひそめるのは当リ前です。
無論、このNETは直ぐに当局の厳しい検閲に引っかかり削除されてしまった様ですが、一時は北京の若者達に大きな反響を呼び起こした様です。
これは中国で旅行業をやっている友人から聞いたお話ですが、別の中国人の旅行業者の話では、近年の海外観光旅行先で最も人気の高い国は、日本と韓国で毎年確実に右肩上がりの伸びを示しているそうです。
我々がツアーを楽しみんで帰国したお客様に再び貴方が行きたい外国は?と言うアンケートを実施しますと、圧倒的に日本と言われるのが多いのは実に驚きです、と言っておりました。
『規律違反』
軍律の如く絶対服従が条件の救助隊の上司の命令に逆らってやってはならない隊長の命令に背くと言うとんでも無い規律違反を冒し、若者に人気のNET配信をして多くの若者を扇動したと取られる恐ろしい政府当局の敵になる、ちょっとややこしい行為に及んだ道を選んだこの三人の若者達の、その後については分かりませんが、ちょっと気になりますね~っ、
しかし、我が国のマスコミ業界はこの様な報道を一切取り上げる事は無く、只低次元の「誰々が◯◯秒、頭を下げた」とか「◯◯とホテルに行った」とか「妊娠した」等々の常にどうでも良い低次元のがさネタの報道ばかりに終始していて、誰もこんな銭になりそうも無い事には一切取り合おうとはしませんねぇ。
一体全体、
何を考えているのでしょうか?
こちらのお話は、
東日本大震災の救助活動の為に
前述の中国隊の数日後に、
仙台市にやって来た韓国隊のお話
『トイレットペーパー』

トイレット ペーパー
ご存知の方も多いいと思われますが我が国のお隣の韓国や中国の人々は、長い物には巻かれろと言う儒教の教えが徹底しているせいなのか、丸く収まっている長いトイレットペーパーは、日本人の感覚とは多少異なり凄く愛着を持ち、大変縁起の良い物として異常に親しみを持ち崇める傾向が有る様です。
その一例としましては、おめでたい結婚式の引き出物には必ず喜んで使われるのがトイレットペーパーと言うのが常識化しているお国柄です。
仙台にやって来た韓国救助隊の一人の若者が突然催し、慌てて市内の公園の公衆トイレに駆け込んだ所、驚いた事にそこは公衆便所なのに、整然と綺麗に清掃が為されている上に、更に驚いた事はトイレットペーパーがしっかりと備え付けられおり、その傍らには予備のトイレットペーパーもきちんと置かれており、彼はびっくり仰天。
これは彼のお国の一般常識ではちょっと考えられない事で、言って見ればトイレットペーパーはお金と一緒と迄はいきませんが、実に有り難い物でそれが人目に付かない場所で自由に扱えるとなると何か妙に得した気分になり、皆さん喜んで家に持ち帰る傾向が有るのです。
彼は大きな驚きとともにこれに強い興味を抱き早速、駅のトイレ、コンビニのトイレ、デパートのトイレと片っ端に、公衆トイレに出向き調べて見ましたら驚いた事に、全てトイレットペーパーがしっかりと完備されているだけで無く、中には最新式の電動式設備のトイレが設置されている所も有り、その全てに於いての綺麗さや管理の素晴らしさに驚き、この己以外の他人に対しての心優しい気付かいや、慮りを大切にしているこの国の素晴らしさにすっかり魅了し、感動してしまいます。
『勇気有る提言』
彼は、直ぐに韓国のNETに
「日本に来て初めて知りましたが、この国の人はいつでも他人を大切に慮る心を持っている所が、実に素晴らしい文化だと思います。
今回の様な大規模な災害で悲惨な、自分の家のトイレットペーパーさえも確保が難しい状況下でも、多くの人が使用する公衆トイレにしっかりそれを配備し、更にそれを持ち去ろうとする人がいないと言う、伝統文化は実に素晴らしいと思います。
心狭いおらが意識と我田引水の井の中の蛙レベルに徹しさもしい他国のバッシングをしているよりも、少しでも良いから我々はこの様な素晴らしい伝統や文化を、素直に取り入れて学んだ方が良いと思います」
と配信をしましたら、これがとんでもない大反響を呼び起こします。
無論、前述の中国隊のお話同様、僅か数年前迄この国を身勝手に植民地化し、侵略し続け悪略の限りを尽くした過去の無知無能の歴代の日本のバカ指導者が行った最低最悪な過去を体験している多くの皆さんは
「お前は手前勝手な物の見方で、了見の狭い一欠片のちっぽけな出来事を引っ張り出し、偉そうに日本を持ち上げたりしているとんでも無い間抜けな売国奴だ」
と言った類の物ばかりですが、中には
「私はその通りだと思います」
と言う人達も結構いたと言う話を聞きました。
こちらのお話も前述の中国隊のお話同様、銭以外には何一つ関心や興味を示さない低次元脳ミソで只、自分さえ良ければ、と言った腐りきった多くの政治家、医者、そしてマスコミ業界関係者の皆さんはこの様な銭にならないお話は一切取り上げず、只目先で起きるどうでも良い「誰が結婚した」とか「誰が◯◯した」とか言うガサねた報道のみにエネルギーを費やしていますが震災の救助活動にやって来た中国隊や韓国隊の若者達が、直面した些細な出来事から大きな感動を受け、自分達の国の大きな過ちを改めようとする姿等は、正に感動に値し大きな報道に値しますが、残念ながら心根の腐り切った自己中心で凝り固まった我が国のマスコミ軍団の輩にはこんな話に真剣に振り向く人は誰一人いませんねぇ。
『時が解決』
古今東西そして現在に於いても、全ての政治家達が犯す大きな過ちはそう簡単に消え去る物では有りませんが、これからの時代を担う若者達が少しずつですが台頭して来ている現在、大切な事は常にコツコツと己の間違いを正しそれを繰り返し続けて行けば必ず明るいその時がやって来るであろうと言う、一つの例だと思われます。
『唯我独尊』
日々、楽しく生きて行く事は有る意味では、闘いでも有り、戦でもあるので常に、他人と共に楽しく生きる努力が必要なのに、その努力をないがしろにして、自己中心の我儘に徹していては、あんなに素敵で☆彡キラキラ☆彡と輝いて可愛かった人も皆、二十歳過ぎれば只の人、と言う様に唯我独尊の道を歩き続け、一人前の人になる事をやらずでは、その先の人生は赤いサラファンで歌われる様に、時とともに必ずその人は極めて醜い惨めで恐ろしい妖怪様になってしまう極めて哀れな人生の結末だけが待っているのです。
『君子、豹変』
この様な悲惨な結末に陥らない為には人は【君子豹変す】にならない限り一人前の人にはなれません。
君子豹変すとは賢い人になるには豹の毛皮が抜け落ち瞬時にして、真新しい素敵な毛皮に生え変わる様に、その人が突然魅力有る人に変わると言った事を意味しますが、無論、これは意外と難しい厄介な問題なのです。
古今東西、子供は自分では絶対に選ぶ事が出来ない無知無能の(バカ)親の間違いだらけで身勝手な過保護によって育て上げられ、他人の意見を素直に聞く耳や心を持てない様に幼少期にきっちりと仕組まれ、それがトラウマ化してしまうからなのです。
これはDNAの機能の問題では無く、母親の過保護行為その物に大きな要因が潜んでいるのです。
その傾向が顕著に表れる例として、ここでは身勝手に世襲家族を引き合いに取り上げていますが、これは決して世襲家族だけのお話では有りません。
『女性から女性への忠告』
『女性から女性への忠告』

女性から女性への忠告
一般に一家の男性は糧を確保する為、外での活動をする傾向が有るのに対し女性はその男性の面倒や家族や子育て家事全般と言った、任務を担う近場の空間に対応する機会が多く、近場の細かい配慮に対する能力が男性より勝り、現実の出来事の対処対応には比較的強い特性を持ち合わせていますが、その女性が視界の狭い無知無能で自己中心が強い教養の無いマザコン意識が露呈しますと、只々己の意見や主義主張をゴリ押しし、人の話を聞かない恐っそろしい妖怪に変身します。
女性(⇒メス)は種族保存の為の動物的本能である、糧をしっかり確保する目的達成に旺盛で、その糧を確実に持ってきて繰れたり子孫を残す為の大切な種を授かってくれるかも知れない素敵なオス(⇒男性)に対しては当然強い関心を払い、
「若しかして、この人は私だけに♡お小遣いを一杯下さるかしら♡」とか「私だけに素敵なタネを下さるかしら」
と言ったミエミエの目的が有るので、男性の言う事には多少耳を傾ける事も有りますが、相手が女性となると途端に本能ムキ出しの闘争心に真っ赤な火が付き「こいつがいると、私の取り分が減るかも」と相手の話を一切聞こうとしない、恐っそろしい野獣に激変します。
勿論、賢いメス(⇒女性)は、表向きはお得意の見事な二枚舌で、心の中の闘争心は巧みにカムフラージュしていますが古今東西、全ての女性は、全ての女性がライバル、と言うのは、嘘偽りの無い事実で有り真実です。
『母性愛』
歴史上、男性は狩りや戦等に出向き多くの命を落としその数が激減する時代を数多く経験していますので、女性は必然的に男性を守ろうとする所謂母性愛の様な物が働き、男性の言う事には多少耳を傾ける事も有りますがそれが相手が女性となると例え、それが母親で有ろうがお姑姉妹、娘で有ろうが、本能ムキ出しの闘争心がメラメラと燃え上がり聴く耳を全く持たない生き物に変身します。
実はこれも女性の立派な性の一つなのです。
全ての子供はこの母親によって大事な乳幼児期を過ごし、それが完璧にトラウマ化して成長するのは止むを得ない事なのです。
それ故、ここをしっかりと認識し、いち早く乳離れや親離れをしないと、とんでも無い哀れな人生になってしまいますので、全ての人は豹変して一人前の人になる努力は絶対に避けて通る事が出来ない道なのです。
『八百長』
国連のアフリカ女性の環境大臣が提言した素晴らしい日本語の勿体無いと言う言葉同様、実に素晴らしい日本語の一つに江戸時代の相撲の社会から生まれた八百屋の長兵衛さんが巧みに庶民を欺き、がっぽり己の懐に阿漕に銭儲けをする八百長と言う美しい言葉が有ります。
これは実に奥深い複雑怪奇且つ大胆不適で、巧妙なからくりを巧みに駆使して銭儲けをする事を意味し古今東西、全ての物事にこの八百長行為は必ず堂々と深く潜んでいます。
『扇動者』
マスコミ業界は勿論、己の八百長行為は全て棚上げにしひた隠し、他人の八百長行為のネタを連日拾い上げ充分成り立っていけますし、その事実や実態を知らされたノーテンキな庶民は「うっそ~、本当~」等と言って日々、ノホホンと過ごしています。
『国家公務員』
私達の身近に存在する警察や消防税務署等から始まる、世の中で絶対的に必要な全ての国家機関の局、省、丁、財団、公団と言った類のあらゆる官公庁の、国家公務員のお役所関連の皆さんがやっている実態は、長い歴史の時間と経験により庶民感覚からは大きくかけ離れた実に巧みで巧妙な八百屋の長兵衛さんより遥かに上を行く八百長行為がしっかりと深く浸透して居り、彼等は民から搾り取る税金を巧みに操り大した苦労や仕事は一切、或いは全くせずのやりたい放題で騙しまくっていますので、国歌公務員の皆さんは、確実に優雅で楽な生活を楽しめる様になっています。
『民間企業』
それでは、民間企業の方はどうかと申しますと、大企業と言われる会社始め、歴史と多くの財力を持つ一流とか老舗等と称される全ての会社の真の姿は、こちらも国家公務員に劣らず実に巧みで【夜も寝ないで昼寝して三度の飯を四度喰って】只只、消費者の事等は微塵も考えず、己の好都合のみを優先し世間一般に実に数多い、ずる賢い公務員や政治家や医師軍団同様、とても一般の人には見破れない最高のマジック並みのノウハウを必死に考え出し実に巧妙なカラクリを駆使して実践していますので、立派な八百長行為がそこかしこに図太く堂々と浸透しています。
ずる賢いマスコミ業界等は日々、この八百長社会の暴露記事を休みなく暴露し報道する事で、楽に生きて行ける様になっているのです。
『黒幕隠し術』
これらは全て最高のマジック並みで、その凄さは万一事件が発覚して事がバレても、関係者は「私は、むしろ被害者」等と、適当にシラを切っているだけで蜥蜴の尻尾切り同様、堂々と責任逃れが出来る様に仕組まれていて暫くするとウヤムヤになり綺麗に消え去ってしまうと言う素晴らしい隠れ蓑の働きが完璧に為されているのです。
一時、あれだけ世間を震撼させた大事件の数々、手抜き工事の道路や線路や、建築物、偽装米事件、粉ミルク事件、欠陥車、牛肉や鰻等から始る、全ての産地偽装、全ての公務員の不祥事、事故等々、許しがたい大事件の数々も、その悪事を上回る新しい出来事が日々賑わって登場しますので全ては直ぐに過去の出来事になり、暫くすると人々の話題から綺麗に消え去ってしまいます。
これこそ有史以来長い時間を掛けて仕組まれた、英知の結晶と言えます。
『消費社会』
数え上げたら25万種を超えるとも言われる全ての職業のどれもこれも皆、同じで職業とは決して人様への無償のボランティア事業ばかりでは無いので、常に己に都合の良い利益確保は分かりますが、それが堂々と八百長行為をして迄もとなりますと、大企業はTVのCM始め、マスコミ業界に膨大な大金を注ぎ、さも当社だけは安心安全と偽りとはったりの自己美化の自己讃歌をし、消費者から少しでも多くの出費を促しています。
狸と狐の騙し合いの最前線
元気が湧くシンフォニー第一章(完)
シンフォニー目次 |
はじめに |
序章 |
第一章 |
素敵な仲間 |
第二章 |
第三章 |
第四章 |
おわりに |
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