Volume 3
スティーブン・コリンズ・フォスター
前回迄はアメリカの世界的財産「ジャズ」の誕生物語とN.Oの町の物語でしたが、今回は19世紀半ばにジャズ誕生そのものに大きな影響を与えた偉大な数多くの美しい作品を世に残した作曲家のお話です。
この「フォスター」のお話に入る前の序章として「18世紀から19世紀」のアメリカ社会を皆様により良く知って貰いたいので、ここから暫く二百年程前の社会に皆様とご一緒に「タイムスリップ」して見ましょう。
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エイズよりも恐ろしい心の病い!
近年の二千年(20世紀)を振り返ると正に「邪悪なキリスト教と戦争の20世紀だった」と言うのは今や世の常識ですが、たった一塊(ひとかたまり)の人々が崇拝する象徴人物信仰と、その価値観を多くの人々に守らせ服従させる為に行われる布教活動と宣教活動、万一それに従わないと戦争で決着と言う、とんでもない馬鹿げた繰り返しの社会が延々二千年間も続いて来たのは紛れもない事実です。
キリスト信仰二千年よりも遥か前の人類も有史以来、さもしい人類はいつの時代も社会形成は全てこの「心の病い!」を闇雲に信ずる事が生きる柱で、「文明社会」と称している現在の世の中も決して例外では無く、母体は「この心の病い!」でどの社会も成り立っています。
19世紀半ば(1848年)アイルランドの大飢謹が原因で人々が相国を捨て、我こそは! と一気にN.Yになだれ込み、そこで大混乱が巻き起こると言う物語の映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」がありました。
18世紀のヨーロッパの不安混乱社会の安易な解決策の一つに取り上げられたのが相手無視の身勝手な「新天地アメリカ」を目指す事で、いっきに大量移民時代が始まります。
無論この「銭の為なら!」というのは有史以来、古今東西人類の常で何もこの時代に始まった事では無いのですが、この時代の特徴はその後延々と続き、世界中を席捲するキリスト教をベースにした「白人文明社会保持の為」の銭儲け社会建設の始まりで、正にこの時代はこの土台作りが育まれシステム化していくのです。全ての宗教信者は自己中心で凝り固まった目先だけの自己判断で、身勝手に他人の土地を「新天地!」と決めつけ、やりたい放題、力ずくで自己主張、先住民であるアメリカ・インディアンやメキシコ・インディオを僻地に追いやり、皆殺し焼き殺しは日常茶飯事、自然環境、動植物の壊滅的破壊や絶滅行為を繰り返し、無論彼等はそれらを全て(彼等の決めたルールの中で)合法だと主張します。(無論今の時代もそれは何ら相変わらず)「心の病い!⇒宗教!」はいかなる場合も常に戦争と貧困社会を引き起こします。(歴史がそれを証明しています。)
メキシコシティーを占領したアメリカ軍(タブーの写真)
1776年「独立宣言」をした新生アメリカは19世紀に入るや領土拡大に終始、それ迄の北米大陸の大国「メキシコ」はこの19世紀半ば(1846~48年)急激に力をつけて来たお隣への危機感からインディオ編成軍を擁し仕方無く"強いられた戦争"をしますが、悲しい事に文明国アメリカに一方的に破れ、北米大陸の西海岸に位置する実に広大な大地『カリフォルニア』『アリゾナ』『ネバダ』『ユタ』と言う4つの州全域と『コロラド』と『ニューメキシコ』二つの州の半分以上の国土をアメリカに奪われてしまい、これでアメリカの領土は初めて太平洋と接する事になります。
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アメリカの領土拡大年表
それ迄のメキシコ国土が北米大陸でどんなに大きかったか皆さん想像出来ますか?
アメリカ国内では「西部開拓だ!金鉱開拓だ!」と只銭を追っかける為に自然破壊をどうどうと、町作りや道路作りをし考える事は常に己の利益確保に終始し、今では目を覆う程の取り返しのつかない自然破壊事業や動植物の絶滅等も屁理屈を並べた大義名文を作りともかく利益追求に終始し、大陸横断(TRANS一AM)の鉄道建設やダム建設工事等の大公共事業を各地で展関し、そんな中から要領良く銭儲けに成功した仲間が出たりすると皆で挙って(こぞって)「アメリカン・ドリーム」とか言う身勝手な御旗を振りかざし持ち上げ英雄扱い!
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英雄、独裁者を乞う心
「心の病い!」である「宗教」最大級の恐ろしさはどういう訳か常に心に一人の象徴人物を必要とするのが特色で一度(ひとたび)この病いに冒されてしまうと、実は今では世界中先進国或いは文明国と言われる国の殆どの人がそうである様に常にたった一人、或いはたった一握りのあこがれ、崇める神様、仏様、キリスト様、教祖様、将軍様、支配者、英雄、独我者、スーパー・スターを求めるさもしい心の画一的人間に作り上げる社会が構築され、自分では気がつかない内にさもしい人になってしまうのです。この病いで構築されている近代現代社会がそうである様に、多くの人々は兎も角スーパースターが格好良く登場するプロスポーツ等に異常に憧れスポーツ記事が気になる人間、兎も角何でも構わず「収集に没頭し」己の権力独占欲誇示の材料にする心狭いマニアックな(これは長男、長女の性が引き起こす)只自分のさもしい満足を満たす為のコレクター人間になったり、兎も角、常にヒーロ一、ヒロインが登場する映画やアニメ大好き人間になったり、兎も角、他人と僅か少しの違いを強調させる有名ブランド大好き人間になったり・・・と、今日では全てが世界中の常識となってしまった「他人とは違う自分様」作りに没頭するエゴ社会建設に終始しそれに屁理屈をつけて正当化して維持する時代が始まったのです。
貧富の差を表す「アメリカ社会と奴隷」の話ですが、文明社会構築に必要な労働力確保にアフリカ黒人を連れて来る「奴隷貿易」は18世紀前半1712年に南部の一握りの富豪達によって合法正当化され彼等はそれで大いに財を成しますが、既にこの病いに冒された一般の人々からは只「垂涎の的の人」或いは「無関心」として捉えられていたそんな時代です。
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南部と北部で異なる価値観
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第16代アメリカ大統領「エイブラハム・リンカーン」
19世紀半ばになると互いの利害問題からアメリカの南と北に住む人々に異なる意見が噴き出します。
さてさて、ちょっと過激で乱暴な内容が続きましたが実はこんな激動の時代を生き、美しい数々の名曲を残した「フォスターの姿」を皆様によりリアルに知って頂きたく、その序章として僅か二百年程前のアメリカ社会の一面を皆様と覗き見して参りました。
世界中で多くの人々に愛唱されているフォスターの代表的な名曲、| (作曲年) | |
| おお! スザンナ OH! SUSANNA | 1846 |
| ネリー・ブライ NELLY BLY! | 1849 |
| 草競馬 DE CAMPTOWN RACES | 1850 |
| 故郷の人々 OLD FOLKS AT HOME | 1851 |
| バンジョーひいて RING,RING DE BANJO! | 1851 |
| 主入は冷たき土の中 MASSA'S IN DE COLD COLD GROUND | 1852 |
| 老犬トレイ OLD DOG TRAY | 1853 |
| ケンタッキーの我が家 MY OLD KENTUCKEY HOME,GOOD NIGHT | 1853 |
| ハード・タイムズ HARD TIMES COME AGAIN NO MORE | 1854 |
| 金髪のジェニー JEANIE WITH THE LIGHT BROWN HAIR | 1854 |
| 優しきアニー GENTLE ANNIE | 1856 |
| オールド・ブラック・ジョー OLD BLACK JOE | 1860 |
| 夢見る人 BEAUTIFUL DREAMER | 1864 |
数多くの心温まる名曲を残した「スティーブン・コリンズ・フォスター」は今から百八十年程前(日本は江戸時代後期)「アメリカ建国五十周年記念日」の1826年の7月4日ニューヨークから数百キロ内陸部に位置するペンシルバニア州ピッツバークで生まれ、僅か三十七歳の若さでこの世を去りました。(皆様、前項に掲げた13のフォスターの代表曲のうち、何曲ご存知でしたか?)
フォスター父方のご先祖は三世代前にアイルランドから新天地アメリカに移住。
南北戦争勃発の背景の一つにそれ迄黒人奴隷の存在を一切知らなかった北部の一部の人々から「奴隷行為」は人道上良くない、人種差別だと言った非難の声が出始め、やがてリンカーン大統領率いる北軍の登場となりますが、北部の多くの人々は実際にアフリカから強制的に船底に詰め込まれ生まれ故郷から遥か遠くの見知らぬアメリカ南部のN.Oの港に(拉致されて)連れて来られ「奴隷市場」でムチで打たれてセリ売りされ、何一つ自分達の主張等を社会に訴えられなかった黒人達の存在を知る手立てが無かったのです。
さて今から150~60年前の19世紀半ばはラジオもテレビも無いメガホンだけの時代に人々はどうやってこの心暖まるフォスターメロディーを知り得たのでしょうか?
19世紀初頭、一般社会に黒人の関心が高まって来るといち早く黒人の風俗習慣や生活しぐさを白人の観点で取り上げ、それを面白可笑しく滑稽に演じると安易に受ける事を見出した心無い只銭儲け宗教に完壁に冒された白人達が競って顔や体を真っ黒に塗りお笑いを演じる「ミンストレルショー」が大流行します。
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「ミンストレルショー」Author:BPL
左の「ミンストレルショー」のポスターはミンストレルの歴史が既に50年程経て、本文Volume 1(その1)に掲載の初期のポスター程黒人奴隷をコケにしていないが、それでも母体は黒人奴隷を食い物にしている。
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フォスターの大ヒット曲『故郷の人々』の当時の譜面
ラジオもレコードも無いこの時代人々は譜面によって新しい音楽を手に入れていた。
時代に的確にマッチし、多くの人々に大きな喜びと生きがいを与えるメロディーを数多く作曲したフォスターですが生前にその彼の真価が認められる事はありませんでした。前述の様に彼の名が知られ始めるとその時代特有の強烈なバッシング(非難)がフォスターを襲い結局彼はそれから逃れられず生涯貧困と孤独の人生を過ごすのです。
TVもラジオも冷蔵庫すら無い19世紀中頃ですが新聞だけは既に存在していました。
それ故一般社会の人々に写っていた"フォスターの印象"はと言うと、彼が幼少の折り彼の家の黒人女中「オリヴィア・バイズ」がフォスターを特に可愛がり、時々密かに「黒人教会」に連れて行ったと言う当時の絶対的タブー行為(白人が黒人教会に入る事)の人間、と誠しやかな作り話が増幅しささやかれ(この話はその後フォスターの兄弟の一人モリスンの誤った憶測が原因で間違い記事だったと訂正記事も出たのですが、)
彼は、乗り物に乗っている時に突然ひらめいてメロディーを考え出したり、真夜中突然起きてローソクの灯をともして紙に走り書き、という風に極めて自由に作曲をしていた様です。
今回のフォスターの生涯をかいま見て、「いやはや何とも、こんなに素晴らしい世界中の多くの人に喜ばれる音楽を世に残しながらその日暮らしの一生とはアホな生き方やなぁー、実に勿体ない!」
それでも不思議な事に、いつの時代でもジャズの原点『デキシーランド・ジャズ』の虜になっている人々は世界中に沢山います。
こんな身勝手な事を言うと、必ず「それはそうかも知れないが世の中のしきたりを無視したら一人では生きてけないし、それこそフォスターみたいに貧乏になっておまんま食えなくなつちゃう」とか、
その結果周りを見渡せばともかく自分だけは他人とは少し違う、